喜多野修次ってどんな人?生い立ちから起業して成功するまでのストーリー

こんにちは!
実践SNS集客学科の喜多野です。

私を含めてうちの会社のメンバーはみんな旅行好きで、1年に35回以上国内外を旅行することもあります。

箱根、広島、沖縄、北海道など、最近でもいろんな場所を訪れています。

パソコン1台持って好きな場所で好きな仲間に囲まれながら、

自分らしい働き方で最高の毎日を送れているんですね!

4年前に自分のビジョンボードを作って「将来はこういう人生を送りたい!」と書いた通りの人生を送れている……。

ただ、私もビジネスを始めて最初から順風満帆だったわけではなく、年収5万円の時期があったり、借金400万円背負った時期もありました。

そんな私の生い立ちから起業するまでのストーリーについて、ここで紹介したいと思います^^

なぜ実践SNS集客学科を始めたのか?

現在私は、「もう集客で悩まない、日本一やさしくSNS・集客を実践できる学校」をコンセプトに、

集客支援サービス『タクスー』-実践SNS集客学科-を運営しております。

私自身は1995年、神奈川県の小田原市で生まれ、現在は日本国内でオーナーとして計7社を経営。

具体的には、メディア運営/店舗事業/通販/マッチングプラットフォーム運営/教育事業を展開しています。

これまで自社でインスタグラム100アカウント以上のSNSを運用してきた中で、体系化した集客・販促のメソッドをもとに

40代・50代のSNSが苦手な店舗・事業主・小さな会社を経営されている方々に、日本一わかりやすく再現性の高いSNS集客法をお伝えしております。

これまでには実践SNSマーケッターとして、東証1部上場企業をはじめ、

中小企業、個人事業主、店舗、物販、コーチコンサルセラピスト、スピリチュアル、インストラクターなど。

日本の専門職の起業家を累計1000名以上指導してきました。

母親が詐欺に遭い、ビジネスを始めるきっかけに

そんな私が、なぜ「実践SNS集客学科」を始めたのかについてお話しさせていただきたいと思います。

もともと私がビジネスを始めようと思ったのは、母親がきっかけでした。

私の両親は5歳の頃に離婚していて、その後母親に引き取られてシングルマザーとして育ててくれたんです。

そんな母が、私が7歳の頃に「詐欺に遭う」という経験をします。

具体的にどんな詐欺だったのかというと、今でいう特殊詐欺のようなものですね。

当時小学生だった私がある日学校から帰ってくると、家の前に真っ黒なベンツが停まっていました。

そんな高級車がうちの前に停められていたことにもびっくりしたんですが、家に入って応接間に行くと、

母親が見知らぬおじさんと話しているのに気づきました。

パッと見は普通のおじさんで、仕事ができそうな、稼いでいそうな雰囲気もありましたね。

最初は「うさんくさいおじさんだな〜」としか思っていなかったんですが、何度かうちに遊びにきてくれたんです。

その度にお菓子をくれたりもして、「意外と悪い人じゃないのかも?」と、私としても少しずつ心を開いていったんですよね。

後になってわかることですが、そのおじさんが母を騙した詐欺グループの社長でした。

都内のビルで大きなオフィスを持っている社長さん

そしてしばらく経ったある日、そのおじさん社長が「お母さんと一緒にうちの事務所に遊びにおいでよ」と誘ってきました。

あの時家の前に停まっていたベンツに、母と一緒に乗せてもらい、東京都千代田区のあるビルの3階に案内してもらいました。

ビルのエレベーターに乗って3階のドアが開くと、一面ガラス張りのオフィスに30〜40人くらいの従業員が働いているのを目にします。

受付のお姉さんもすごく綺麗で、小学生の私にもたくさんお菓子をくれる。

「あの社長さん、すごくいい人だね」なんて母と話していましたね。

1週間後、オフィスはもぬけの殻に…

それからしばらく経ったある日、いつものように学校から帰ってくると、母が電話を片手に深刻そうな顔をしていました。

「どうしたの?」と聞いてみると、「詐欺に遭ったかもしれない」という話でした。

どうやら話を聞いてみると、例のおじさんが持ちかけてきた投資話に乗ってお金を振り込んだところ、連絡が取れなくなったそう。

急いでこの前訪問したオフィスに行ってみると……。

誰もいない。

1週間前まではデスクもイスもあって、あれだけ従業員がいたはずなのに、あっという間に雲隠れされてしまいました。

もちろんその件で家族がケガをしたとか、命を奪われそうになったわけではありません。

でも、そうやって詐欺に遭ったことがすごく悔しかった!

母親も弁護士を立てていろいろと動いてみたものの、証拠不十分で犯人は捕まらず…。

まるで映画のワンシーンみたいな体験があったわけです。

7歳で初めて感じた屈辱・悔しさ

うちの母親は私の小さい頃、ずっと薬局で働いていたんです。

当時5歳の私を幼稚園に行かせるためにも、ずっと薬局で仕事。

そんな背中を見てきたから、悔しさも人一倍強かったし、許せなかった。

そこで思ったのが、「自分がしっかりしないといけないんだ」ということでした。

小学1年生の幼心ながら、そんな決心をしたわけです。

小5でホリエモンに憧れを抱き、起業家への興味

それからしばらく経って小学5年生になった頃にテレビである人物をたびたび目にするようになりました。

その人物とは、堀江貴文さん、いわゆるホリエモンですね。

当時は近鉄バッファローズを買収するとか、フジテレビを買収するみたいな話が出ていて、ちょうどホリエモンの全盛期の頃。

「こんな社長さんもいるんだ」と感じ、起業家という働き方に憧れを持つようになります。

実際に小学6年生の卒業アルバムの寄せ書きでは、「20代で会社を作っていっぱいお金を稼いでお母さんを楽にさせてあげたい」と書いたものでした。

当時仲のいいアキラ君という友達がいたんですが、アキラ君と一緒に「将来はこんな会社を作ろう!」みたいな話もしてましたね。

月収200万円、自由に働くライフコーチとの出会い

それから時が経って高校を卒業し、1年浪人して大学に進んでから、YouTubeで藤森さんというライフコーチの方と出会います。

藤森さんは当時から月1で海外に行っており、月収200万円稼いでいるけど、お客さんに愛されているコーチだったんです。

好きな時に海外に行けて、好きな場所で仕事ができる…。

そんな私の理想の働き方を実現している人だったので、私は藤森さんに会いに行こうと決心しました!

藤森さんのメルマガにも登録して、メッセージを何通も送りましたね。

やっとの思いでアポを取り付けて、渋谷ヒカリエのあるカフェでお話を聞けることになりました。

そこで思ったのが、「やっぱり自分でビジネスをやるのってっていいな!」ということだったんです。

大学中退→初めての収益は500円でした

「自分の人生を生きてみたい!」

そう強く思った私は、大学を辞めて「なんちゃって起業家」の道に進みます。

当時の私は、もともと心理学が好きで悩み相談を受けることも多かったので、心理コーチとしてビジネスを始めることにしました。

一番最初の収益は、「ココナラ」というサイトでお悩み相談を受けて、500円もらったのがスタート。

当時の私は横浜でバイト生活をしてましたが、その500円が、バイト先や会社からもらう給料ではなく、親からもらうお小遣いでもなく、

自分の力で稼いだ初めてのお金だったんですよ。

「インターネットでお金稼げるんだ!」という強い衝撃受けて、そこからこの世界でやっていきたいと思うようになります。

最初の年収はたった5万円…先輩に相談することに

もっと売り上げを増やすためにどうしたらいいかと考えて、「どうやってお客さんを集めるか?」を考えました。

当時はアメブロをやっている人が多かったので、1日5時間ブログを書き続けました。

しかしその結果は、1年続けて年商はわずか5万円。

これ、月収じゃなくて年収ですからね?笑

もちろんこれ以外にも、鳥貴族やサイゼリヤ、家庭教師のバイトなどもやっていましたが、

ビジネスでは全然稼げないことに気づいて「このままじゃやばい!」と気付きましたね。

そこで大学時代の先輩に相談することにしました。

その先輩は頭が良くて成績もトップクラスで、旅行系のWEB事業で月300万円くらいの収益をあげているそう。

その先輩には、

「年収5万円しか稼げない脳みそでいくら考えても、年収5万円しか稼げないだろ」

と、しこたま怒られましたね。

要するに、自己投資の大切さを教えてくれていたんです!

Instagramに可能性を見出して行動した結果、人生が変わった

私も今でこそある程度判断基準がありますが、当時は

「とにかくお金を払えば成功できるんだ!」
「私が成功できないのは、お金を使ってないからだ!」

と本気で思っていて、手持ちの全部のクレジットカードを使いまくり、リボ払いも使いまくってトータル400万円。

それでも、全然回収できない状態でした。

「このままじゃやばい!」と考え、本質的なことを意識してマーケティングを勉強しようと決意します。

当時のメンターからマーケティングのスキルを身につけて、当時まだまだ少なかった「Instagramマーケティング」に目をつけました。

「Instagramをいち早くマーケティングに使えば、いけるんじゃないか?」と考えて、自分でもテストアカウントを大量に作って運用。

ノウハウを蓄積して、SNSで月商150万円〜200万円をコンスタントに稼げるようになったんです!

そこから共同経営者の山﨑と組んで株式会社SYKを立ち上げたり、実践SNS集客学科を立ち上げることになりました。

だから私は、SNS・集客日本一やさしく実践できるサービス・タクスーを立ち上げました

私自身SNSで人生を変えることができましたが、この業界ははっきり言って不健全だと思っています。

巷のマーケティングコンサルやスクールでは、断片的な知識を高額で販売されていたりと、8割がノウハウの切り売り。

そしてSNSマーケティングを高額を払い学んでみたけれども、

「難しすぎて再現できない」「集客できない」という方や、

「そもそもSNSの必要性はわかっているが、SNS自体がとても苦手で挫折した」という経験をお持ちの40代・50代の事業主、経営者の方々も多くいらっしゃいます。

そうした方々が、最終的に「最後の駆け込み寺」として弊社の集客支援サービス『タクスー』の門戸を叩いてくださっています。

私自身、SNSで人生を変えることができたことでもっとマーケティングを世に広めていきたい一心で、

「各業界のプロを育成する」をモットーに『タクスー』を運営しております。

我々のクライアント様には、

コーチ・コンサル・セラピスト・カウンセラー・パーソナルトレーナー
士業・クリニック・美容室・エステサロン・治療院・飲食店・小売業(物販)
お教室・学習塾・年商3億円未満の小さな会社etc

など、様々な業種の方がいらっしゃいますが、月商100万円〜1000万円の実績者を多数輩出しています。

また弊社がこの集客支援サービス・スクールを運営しているもう一つの目的は、

マーケティングができるビジネスオーナーを育成し「起業家集団」を作っていきたいからです。

最終的に我々と一緒に新規事業を立ち上げたり、プロデュースをさせていただける方々を見つけていきたいというのが正直なところです。

実際に私が現在経営している7社のうち、弊社SYK以外の6社は、全て元クライアントと一緒に立ち上げた新規事業(法人)なのです。

我々はクライアント様と今後も共同で事業を行ったり、弊社のサービス受講後も何かしらの形で繋がれる関係性を
大切にしております。

おわりに

高校の偏差値が37だった私は、別に特別な人間だったわけではありません。

たくさんの縁に恵まれて、今があるなと感じています。

だから皆さんも、本気で今よりももっと集客・売上UPを実現したいと思っているのであれば、

ぜひ弊社『タクスー』のカリキュラムを受けていただきたいと思います

最後までご愛読いただき、誠にありがとうございました。

株式会社SYK
代表取締役 喜多野修次